自分の代わりはいない

今世界中でコロナの影響により多くの方が亡くなったり、苦しんだり、職を失ってしまった人達がいる。毎日のニュースで、食糧支援を受けている人がいることや、シングルマザーで子供を育てながら仕事を探している人がいるのを見る。自由が制限されている今我慢の限界を超えてしまっている、そう思ったのは今に始まったことではない。

自分が好きなこと、例えば外に出かけて、旅行をして美味しいものを食べたり、お土産を買ったり、綺麗な景色をみること、気分転換ができない状態がいつまで続くか分からない。

めっきり減った人と会話をする時間、つながりがない、誰も助けてくれない、無くしたものの方が容易に数を数えることができてしまう。

自分がこの社会でもう役に立つことができないのではないかという失望感は、人が生きる上で自分を追い込んでしまう。これは職があったとしても、パワーハラスメントに何回もあって、自分が行く場所はもうどこにもないんじゃないかと思う。

自然と涙が出てきてしまうほど、傷ついた過去、心は相当な打撃を受けていたことにようやく気付いた。我慢すればするほど感情が洪水のようにあふれ出てくる。

でも、私は自分には沢山できることがあるし、たとえ今それが仕事に結びついていなくても、部屋を掃除してみると、こんなに沢山やってきたんだから、活かせていないのはもったいない。自分には力がある。才能もある。社会でそれをどう生かしていくか。一人の人間として、世の中に自分の力を生かしていける。そう自分を信じること。

辛い思いをしただけ、人は強くなれる。社会制度だけでは人の気持ちは理解できない。

自分を信じ、社会で発揮する。ひまわりのように光が差す方向を向いて、自分の力を信じ個々人が支えあいながら生きられる社会になることを願ってやまない。

今よく聴いているのは、セイリングマイライフという曲。10年前の曲だが、心が癒される曲。そして今日の朝みた言葉。「There is no substitute」代わるものなし。

自分に代わるものはいない。この言葉は自分を勇気づけてくれる。